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2017年7月11日 (火)

福祉について思うこと

イタリアンレストランに車椅子で入店できずにネットで騒動を起こした乙武某、バニラ・エアの飛行機へタラップを這い上がって搭乗しようとした木島某。

このような話を目にして、昔々私が経験した出来事を思い出しました。

私は大学に入学してすぐに学生寮に入りました。そこは普通の人が住むにはいろいろ厄介なところだったので1か月ほどで出てしまいましたが、その寮で起こった出来事です。

寮の自治会が企画したものだと思いますが、ある薬害による先天性の障害で車椅子生活をしている人が寮の1階の食堂兼集会所で演説を行いました。その中で当人が言ったこと、

「健常者は障碍者の世話をすべきなんです!」

「協力してください」、ではなく、「世話をすべき」、という強い言葉で主張していました。これにはとても違和感を覚えました。薬害の被害にあったのは気の毒に違いありませんが、無関係の人間に世話をしろなんて、よく言えるよなぁ、と。

演説が終わって私は上階の居室に戻り、少しして居室の外に出たら、先ほどの障碍者が階段を下りたいので手を貸してくれ、と。何人かで車椅子ごと抱えて1階まで下しました。当人は「ありがとう」、と。

そんな手伝いをするくらいは別に構わないのですが、そもそも何で居室しかない上階に来ていたのか、後で疑問に思いました。主催者との話などは1階で済ませればいいのですから、わざわざ人の手を借りてまで上階に上がる理由が分かりません。世話をさせること自体が当人と主催者の目的だったのか?何か釈然としない気持ちでした。

障碍者に限ったことではないのですが、福祉には常に同様の問題があると思っています。

本来、福祉は余裕のある人が困っている人を救おうとする善意と、助けられた人のそれへの感謝という、心の結びつきが基本にあるはずです。ですが、福祉が一旦制度になってしまうとその心が失われていき、余裕のある人にとっては福祉は義務、困っている人にとっては福祉は権利として認識されていくようになります。善意-感謝の良好な関係が義務-権利の対立する関係に変質してしまいます。

一部の生活保護受給者がパチンコをやっていたり、無料で得た処方薬を横流しして利益を得ていたりすることへの非難も義務-権利の対立が根底にあると考えます。

上記の車椅子の事例は障碍者の側の権利意識が非常に強く感じられ、その結果、健常者からの反感を買うことに繋がってしまっていると思います。

ほとんどの障碍者は普通に自然に周りと協調しているのでしょうから、これらの事例のような言動はごくごく一部の人のものだと思いますが、障碍者vs健常者みたいな構図に発展しかねない騒動は好ましくないと思います。

周りに気遣って生活しているのは何も障碍者だけではありません。多くの健常者も他人にできるだけ迷惑をかけないように暮らしています。障碍者だ健常者だではなく、皆が社会の一員としてお互いへの心配りを忘れずに振る舞っていくのが正しいあり方ではないでしょうか。

Kind Regards,

ブリュレ

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