日記・コラム・つぶやき

2017年6月23日 (金)

小林麻央さん、哀悼の意を表します。

小林麻央さんが旅立たれたとのこと、お悔やみ申し上げます。まだお若いのに。。。

麻央さんと海老蔵さんのファンではないのですが、私にはお二人の思い出が一つだけあります。

2010年の春だったかと思いますが、某鮨店(一応店名だけは伏せておきます)で私が友人と二人でカウンターでお鮨をいただいていると、ガラガラっと戸が開いて人が店に入ってきました。海老蔵さんと麻央さんです。二人は私たちの隣の席に座りました。「おぉ~っ、本物だよ!」と少々驚きました。

海老蔵さんは常連のようで、大将の金坂さんと気さくに「麻央がこの店に来たいって言うから連れてきたんだよ。」などと大きな声で話をしていました。麻央さんはその某鮨店には初めて行かれたようです。

麻央さんは壁にもたれるように座り、海老蔵さんは麻央さんとお店の方と楽しそうに話しながら二人でお酒とお鮨を楽しんでいました。

海老蔵さんがちょっと席を立った際に友人の椅子に体が当たり、「あ、すいません。」と丁寧に謝っていたので、テレビで見るちょっと乱暴な雰囲気とギャップを感じました。礼儀正しい方ではないですか。

二人の好感度が私の中でアップした一日でした。

その後まもなく西麻布で海老蔵さんが暴行を受けた事件があり、それもお気の毒に、と思っていたのですが、麻央さんがお亡くなりになり、心残りのあるであろう麻央さんと、大事な人を失った海老蔵さんとご家族、計り知れない辛さだと思います。心よりお悔やみ申し上げます。

2017年6月16日 (金)

銀行のカードローンについて

まずはネット上のニュース記事の引用から。

----------(引用始め)----------

「銀行カードローンの規制「適当でない」 全銀協の新会長」

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170615-00000097-asahi-bus_all

貸出額が急増する銀行カードローンについて、全国銀行協会の平野信行会長(三菱UFJフィナンシャル・グループ社長)は15日の記者会見で「規制を課すことは適当ではない」と述べた。貸付額で「年収の3分の1」という上限規制がある消費者金融に対し、カードローンは規制外で、多重債務の懸念から規制強化を求める声がある。しかし平野氏は反対の考えを強調した。

 平野氏は「必要な資金を返済能力のある人にタイムリーに提供するのが金融機関の役割だ」と述べた。借り入れが年収の3分の1を超えても、返済できるなら目的を問わず貸してもいいとの考えを示した。具体的には、教育資金や冠婚葬祭などで高額融資の「ニーズがある」とした。

 年収の3分の1超の貸し出しは「より慎重な審査を行っている」とし、銀行取引にもとづく「プラスアルファの審査が可能」だとも述べた。過剰融資への懸念に対しては「一部に行きすぎがあったことは私どもも懸念している」としたうえで、「是正しつつニーズに応える。単純に(貸し出しを)なくせばいいということではない」と語った。

 全銀協が5月に実施した会員銀行へのアンケートでは、3月以降に貸出額を年収の3分の1以下とするなど融資限度額を厳しくしたのは7%にとどまり、60%が検討中、33%は「変更なし」だった。         

朝日新聞社

----------(引用終わり)----------

多重債務が社会問題になり、いわゆる「グレーゾーン金利」撤廃と年収の1/3を超える貸し付けを制限する「総量規制」が行われました。総量規制は銀行の貸付を対象外としているので、借金をする側からすれば規制が緩い銀行から借りるというのは自然な流れです。それで返済不能に陥る人が減るという理屈が分かりません。意味不明です。

上記のニュースにおける三菱UFJフィナンシャル・グループ社長の平野氏のコメントも全く筋違いです。

平野氏:「必要な資金を返済能力のある人にタイムリーに提供するのが金融機関の役割だ」

貸金業者も同じです。

平野氏:年収の3分の1超の貸し出しは「より慎重な審査を行っている」

貸金業者も審査はしっかりしていました。融資焦げ付きで困るのは貸金業者も同じです。

平野氏:銀行取引にもとづく「プラスアルファの審査が可能」

三菱東京UFJ銀行のカードローンは銀行口座が不要と宣伝していますが、口座取引がない人に対してどうやって「プラスアルファの審査」を行うのでしょうか。

平野氏:過剰融資への懸念に対しては「一部に行きすぎがあったことは私どもも懸念している」としたうえで、「是正しつつニーズに応える。単純に(貸し出しを)なくせばいいということではない」

そっくりそのまま貸金業者にも当てはまります。

結局、総量規制によって理不尽に優遇された銀行がその既得権益にしがみついているだけと考えるのが妥当でしょう。

ついでにグレーゾーン金利撤廃についても一言。

グレーゾーン金利は金融庁にもいわば黙認されていた金利にも関わらず、最高裁が否定して、過去にさかのぼって過払い金の返還を命じたのは異常だと思っています。最高裁の判事が貸金業者を潰したいとか、偏った意思があったのではと疑っています。

三権分立という点からは、行政が黙認していたグレーゾーン金利を裁判所が否定すること自体は問題ではありません。

ですが、政省令、施行規則、ガイドラインなどで行政が法律の細かい解釈などを規定して事業者に従わせ、それに反した場合に行政処分をするわけですから、事業者にとっては行政が司法に近い存在でもあります。逆に言えば、行政が黙認していることについては違法という認識を持たなくても無理がありません。

まず裁判所がグレーゾーン金利を違法として、今後はグレーゾーン金利での貸し付けを禁止しすると判断し、行政がそれに基づいて細則を整えて施行するというのであればよかったのですが、いきなり過去にさかのぼって過払い金の返還を認めたというのは度が過ぎていると考えます。自転車で歩道を走るのが普通だったのに、ある日突然それは違法だから過去にさかのぼって反則金を払え、と言っているようなものです。

司法、行政、立法のどれも信頼できないと思わせる事態が頻発している日本。どうなっていくのか・・・

Kind Regards,

ブリュレ

2017年4月19日 (水)

線路に入っての救出は止めましょう

先日、京浜急行線の八丁畷駅近くの踏切に自殺のために入ったと思われる人を助けようとした銀行員が線路に入り、二人とも電車にはねられ亡くなったというニュースを見ました。

似たような事故として思い出されるのは何年か前の横浜線の中山駅近くの踏切で、こちらも自殺志願と思われる高齢男性をたまたま父親の運転する車に同乗して踏切待ちをしていた女性が父親の制止を振り切り線路に入り、その女性は死亡、高齢男性は助かったというものでした。

もっと前には山手線の新大久保駅で泥酔客が線路に落ち、助けようとして線路に降りた日本人カメラマンと韓国人留学生の二人を含めて三人が死亡という事故もありました。

いずれも美談として語られているようですが、美談ではないですよ。

死者に鞭打つつもりはないですし、人を助けたいという善意を否定するつもりもありませんが、これはただの無謀な無駄死にです。それだけの善意がある人なら生きていれば家族はもちろん、多くの人のためになれたはずです。その貴重な命を通りすがりの自殺志願者や酔っ払いに捧げるなんてもったいない以外の何物でもありません。

このような状況では非常停止ボタンを押すだけに留めるべきです。それで助からなかったらそれまでのことで、責任を感じる必要などないのです。

だいたい、自殺志願者は死ぬ気なのですから助けに入っても抵抗されたりしがみつかれて道ずれにされる可能性がありますし、泥酔や意識不明の大人を抱えて移動するなんて簡単にできることではありません。

私はそういう現場に遭遇したことはありませんが、もし救出のために線路に入る可能性があるとしたら、相手が子供で、電車が来るまでに確実に安全な場所まで抱きかかえて移動できる目途が立った場合だけでしょう。決してイチかバチかの賭けはしません。

切腹やら特攻隊やら玉砕やら、日本には無駄に死ぬことを美化する風潮がありますが、それが長時間残業だったり過労死だったりの元凶のような気もします。

日本人は意識を根本から変えたほうがいいのでは、と思う今日この頃です。

Kind Regards,

ブリュレ

2017年4月11日 (火)

モト冬樹とNHKと味の素

お昼時にたまたまNHKの「ひるブラ」という番組を見たら面白いやり取りがありました。

錦糸町のタイ料理のお店からの生中継だったのですが、現地のアナウンサーがこのお店では料理に化学調味料を使っていないことを説明したところ、スタジオのモト冬樹が

味の素を使っていないんだぁ。」

と言ってしまいました。。。

アナウンサーは化学調味料が一概に悪いわけではないと慌ててフォローしていました。ちょっと面白かったです。

モト冬樹は後で注意を受けたのかな?

それにしても、「べっぴんさん」も「ひよっこ」もつまらん。始まるとテレビを消してしまうくらいつまらん。

NHKはニュースやドキュメンタリー番組に特化して、それに必要な経費だけ受信料として徴収するようにするべきでしょう。ドラマやバラエティーなどの娯楽番組には必要性も公共性もないですからね。受信料を正当化するにはそのくらいのことは考えてほしいものです。それができないのであれば契約者のみがNHKを受信できるようにするべきです。技術的には普通にできるのですから。

受信料をめぐる裁判に法務大臣が意見をするとかしないとか。モト冬樹くらいの面白い意見を出してくれるのか、楽しみです。

Kind Regards,

ブリュレ

2017年3月 1日 (水)

ヤマト運輸の再配達時間指定見直しの可能性

ヤマト運輸がドライバーの負担軽減の目的で再配達の時間指定を見直す可能性が出ているとニュースで見ました。

我が家はマンションで宅配ボックスがあるため、再配達への依存度は高くないのですが、宅配ボックスに入らない荷物のためには「20-21時」の時間指定を維持してほしいものです。

ドライバーの負担を考えて会社としてできることとしては時間帯見直しや夜間の配達中止などが考えられるのでしょうが、サービス低下をせずに無用な再配達を減らすことも必要なのではないでしょうか。

私はネットで要らなくなった書籍を販売していて、発送は主にヤマト運輸を利用しています。できるだけ早くお届けしようと、夜に入った注文を翌朝一番に当日便で発送することがあります。送った荷物の追跡をしていると、多くの方は初回の配達か次の再配達で受け取っていただけるのですが、時々、再配達の日時指定をせずに5回も6回も不在で持戻りになっているケースがあります。こんなときは早く発送してしまって、ヤマト運輸に申し訳ない気持ちになります。

再配達依頼が来ていない場合は再配達せずに営業所止めにしておけばいいのではないでしょうか?また、再配達依頼の日時に不在だった場合は再々配達はしないで営業所受取り、もしくは追加料金を請求するなど、受取人側にも相応の努力を求めてもいいのではないでしょうか?

お中元、お歳暮、その他の自分で注文していない荷物は不意に届くので旅行中などで受け取れないこともあるでしょうが、自分で注文した荷物はすぐに受け取れるように準備をするのがマナーだろうと思います。

商売はお互い様。自分が客だからと相手に配慮もしないでいるとサービス低下などで結局自分にはね返ってくることにもなり得ます。

Kind Regards,

ブリュレ

2017年2月24日 (金)

プレミアムフライデーやら残業規制やら

今日は初めてのプレミアムフライデー。

金曜日に早く帰って、残った仕事を土日出勤で片づけるのでしょうか?

それとも木曜日か月曜日に深夜残業するのでしょうか?

給料は増えないのに金曜日に早く帰ってお金を使えって?

お金を使うところの労働者は早く帰れるわけないよね?

だいたい日本人は有休取得率が低いのですから有休100%消化するほうがプレミアムフライデーなんかより余暇が増えるでしょう。しかも全業種、全職種に当てはまります。月末の金曜日、一部の人だけ一斉に早く帰る、なんて馬鹿が考えたとしか思えません。

残業規制にしても、管理職などは対象外。ぼんくら経営者は人を増やして残業を減らすなんてことはしないでしょうから、一般社員の仕事を管理職にさせるか、マクドナルドで有名になった「名ばかり管理職」を増やして規制をかいくぐるだけでしょう。管理職は過労死してもいいのでしょうか?

人減らし、非正規雇用などで人件費を圧縮するしか利益を上げるアイデアがないぼんくら経営者と、周りが残業しているので自分もとか、有休申請しずらいとか言っている意気地なし社員。弱い頭と弱い心を直すしか根本的な改善はないのです。

私はノー残業、100%有休取得を目指してきました。周りが残業していても定時で帰りますし、有休も遠慮なく取ります。それで低い評価をしてくる馬鹿な上司がいたら徹底的に攻撃したでしょうが、幸いいませんでした。

くだらない制度や周りの目なんかに振り回されずに本来どうあるべきかを考えて行動すべきです。

Kind Regards,

ブリュレ

2017年2月20日 (月)

いじめについて思うこと~おわりに

いじめやパワハラなど、なくなるのが一番いいのですが、それは期待薄です。それならば、自分で状況を改善できる方法を少しでも考えたほうがいい、という思いでいろいろと思いつくままに書いてきましたが、そろそろ一旦終わりにします。

子供でも大人でも人間関係に苦しめられることは多々あります。私自身も多くの嫌な思いをしてきましたし、これまで知り合った人の中で「いい人」と思える人は極めて少ないです。二度と関わりたくないと思う人のほうがはるかに多いです。

それでも、100人の嫌な奴との出会いを打ち消すほど、1人のいい人との出会いのほうが大事だと思えるのです。

いじめなどで苦しんでいる人は決して悲観して人生を棒に振るのではなく、自分で克服して明るい人生を獲得する意気込みで生きて行ってほしいと思います。そして、周りの人はそれを助けてあげてほしいと思います。

Kind Regards,

ブリュレ

いじめについて思うこと~「いじめ耐性」を強くするために

「いじめ耐性」の要素には以下の4つがあると述べました。

1. 受け流す
2. 反撃する
3. 助けを求める

4. 逃げる

それではこれらを強化する方法を考えてみましょう。

[1. 受け流す]

先にも書きましたが、世の中には悪い人もいるし、誰しも好き嫌いや主義主張があるので、自分を嫌う人がいても仕方ないと受け入れる方向で気持ちを変えて行くのが楽でしょう。周りの全員が自分を嫌っていることはないでしょうから、平穏に暮らしていればいい人に出会える可能性は十分にあります。

大人が子供に受け流す力を付けさせる方法として、私が姪っ子に行った「免疫療法」を一つご紹介します。

姪っ子の名前は「○○美」で、小さい頃から食欲旺盛でした。食べ過ぎと思われるときに、「お前、そんなに食べるとデブ美になっちゃうぞ。」と言うと、「デブ美じゃない~っ!」って怒りました。しつこいくらいにそんなやり取りを繰り返していましたが、ある日、「おい、デブ美!」って呼んだら、「うん、デブ美でいいよ。」と開き直りました。いじめ耐性ができたので終了です。

姪っ子は私に懐いていて本当に嫌われているわけではないと感じていたので、「デブ美」と呼ばれても単にからかっているのだと軽くあしらうことができるようになったのでしょう。悪口を言われても大したことないと経験させるのは大事だと思います。

[2. 反撃する]

攻撃は最大の防御とも言われるとおり、いじめを止めさせる有効な手段には違いありません。ただ、その攻撃が単なる情動、すなわち、気に入らないことを言われたからカッとなって反撃するというのでは、いじめっ子と資質は同じようなものです。悪に毅然とした対応を取るという気持ちで冷静に反撃するのがいいでしょう。

大人が子供にこの力を与えるには、正義感を正しく伝えて、それに基づいて勇気を持って行動することの重要性を理解させることが必要でしょう。

[3. 助けを求める]

いじめられて辛い時に人に助けを求めることは恥ずかしいことではありません。すぐに助けを得られないかもしれませんが、諦めずに助けてくれる人を探すべきです。

助けには家族、教師などが一番重要な役割を果たすことになります。普段から信頼関係が築けていれば早い段階で助けを求めてもらえるでしょう。何でも話してもらえるような関係を作れるように、聞く耳を持って、理解し、一緒に考えることを実践することが必要です。

[4. 逃げる]

学校や職場などが辛くてどうしようもないとき、そこから離れるのは良い選択です。長い人生、一時的に戦線離脱するくらいどうってことはありません。精神的に健全で生き続けることを優先させるべきでしょう。

それには逃げ場が必要です。多くの人にとっては家が唯一の逃げ場です。家族は目先の学業やキャリアの心配するのではなく、今苦しんでいる人を守りましょう。

Kind Regards,

ブリュレ

いじめについて思うこと~「弱い」と「優しい」は違う

先の記事では言葉の暴力を受けた際に、

A. 悲しむ・苦しむ
B. 相手に反撃する

のいずれにしても攻撃性がある点では共通していると述べました。

この一連の記事を書くきっかけになったNHKの「あさイチ」では、いじめられっ子は人に迷惑をかけてはいけないなど、親からちゃんとしつけをされた優しい子が多いと言っていました。Aは優しい子だということです。私はそれを全否定はしませんが、ちょっと疑問があります。

今ここでいじめが起こっているとします。それを見た別の人が次の2とおりの対応をしたとします。

X. 陰ながらいじめられた子を可哀想と思った
Y. いじめを止めに入った

いじめられていた子にとって、どちらが「優しい」のでしょうか。もちろん止めに入ってくれたYですよね。Xが可哀想と思ったところでいじめは止まりません。見て見ぬ振りをされているのと大して変わりません。

このいじめの対象が自分だった時、XはAになり、YはBになるでしょう。そう考えるとAよりもBのほうが「優しい」可能性が出てきます。AとXは悪い人ではなかったとしても「優しい」人ではなくただ「弱い」人なのかもしれません。

人を守るにしても正しく生きるにしても、強さが必要な局面は数多くあります。弱い人を優しい人と呼んで誤魔化すのではなく、「強くなければ優しくもなれない」くらいの教育が必要に思えます。

Kind Regards,

ブリュレ

いじめについて思うこと~言葉の暴力

さて、いじめを少し違った観点から見てみましょう。

悪口を言われたり罵られたりという言葉の暴力を受けた際の反応には個人差がありますが、大雑把に分けると以下の3種類になるでしょう。

A. 悲しむ・苦しむ
B. 相手に反撃する
C. あまり気にしない

このAが一般にいじめと認識されます。Bは喧嘩とみなされ、Cは表沙汰にはなりにくいでしょう。

「馬鹿」でも「クズ」でも「死ね」でも何でもいいのですが、同じ言葉を言われてもA~Cのように反応に大きな違いがあるわけですから、言葉が暴力になるかどうかは受け手が決めていることになります。

悪口をナイフに例えて、悪口を言った人はナイフを対象の人に手渡したと考えてみます。Aは受け取ったナイフを自分に刺し、Bは悪口を言った相手を刺す。Cはナイフを捨てたと捉えることができます。

こう捉えると、AとBはナイフで刺す対象が異なるだけで、攻撃している点は共通していると考えられないでしょうか。

悪口や罵倒はもちろん良いことではありません。でも、悪い人がいなくなることはないですし、悪い人でなくても好き嫌いや主義主張などは当然あるので、周りの皆が自分に耳障りのいいことばかり言ってくれることを期待するのは甘いというか、わがままでしょう。

相手には自分を嫌う自由と権利があると考えて、それは冷静に受け入れるということも必要なのではないでしょうか。

Kind Regards,

ブリュレ

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